れきまど

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第四神功皇后

大正教科書の紙面

10-11頁原本 01
史

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大正教科書 第四「神功皇后」 10-11頁 原本画像
12-13頁原本 02
史

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大正教科書 第四「神功皇后」 12-13頁 原本画像

大正教科書の原文

第四「神功皇后」/通読用

仲哀天皇の皇后を神功皇后と申す。天皇の御代に熊襲また叛きしかば天皇は皇后と共に之を伐ち給へり。此の頃今の朝鮮の地には新羅百濟高麗の三國ありて、我が國にては之を三韓とよべり。中にも新羅は東南部にありて最も我が國に近く、其の勢強かりき。

皇后は天皇の御親征に從ひて軍中にましましが、まづ新羅を從へなば熊襲はおのづから平がんと思召し、たまたま天皇軍中に崩じ給ひしかば、皇后は御懐妊中にてましましも、武内宿禰とはかり、海を渡りて新羅を討ち給ふ。新羅王皇威の盛なるを見大いに恐れて出降り、太陽西より出で河水さかしまに流るる時ありとも叛き奉らじとちかひたり。其の後百濟高麗の二國もまた我が國に從へり。皇后凱旋の後御子生れ給ふ。これを應神天皇と申す。

三韓は早くより支那と交通して學問技藝すこぶる開けたり。されば其の我が國に從ひし後は、種種のめづらしき貢物を奉り、又學者工人などもおひおひ渡り來りしにより、我が國は之がために大いに進歩せり。其の學者の中にては百濟より來りし王仁といふ人最も名高し。

現代語訳

大正教科書の本文に対応
音声で聴く第四「神功皇后」現代語訳の音読/約2分23秒
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仲哀天皇の皇后を神功皇后という。仲哀天皇の時代に熊襲が再び反抗したため、天皇は皇后とともにこれを討伐された。当時、現在の朝鮮半島には新羅・百済・高麗の三国があり、日本ではこれらを「三韓」と呼んでいた。そのなかでも新羅は半島の東南部にあり、日本に最も近く、勢力も強かった。

皇后は天皇自らが出陣された戦いに付き従い、軍中にいらっしゃった。皇后は、まず新羅を従わせれば熊襲は自然に平定されるだろうとお考えになった。ちょうどそのころ天皇が軍中で崩御されたため、皇后は妊娠中であったにもかかわらず、武内宿禰と相談し、海を渡って新羅を攻められた。新羅の王は天皇の威勢が盛んなことを見て大いに恐れ、降伏して、「たとえ太陽が西から昇り、川の水が逆に流れることがあっても、決して背きません」と誓った。その後、百済と高麗の二国も日本に従った。皇后が凱旋された後、お子が生まれた。この皇子を応神天皇という。

三韓は早くから中国と交流しており、学問や技術がかなり発達していた。そのため、日本に従うようになってからは、さまざまな珍しい貢ぎ物を献上し、学者や職人たちも次第に日本へ渡ってきた。これによって、日本は大きく進歩した。その学者たちのなかでは、百済から来た王仁という人物が最も有名である。

令和の教科書との用語照合

大正教科書「神功皇后」の本文に出てくる人物・事柄

令和の教科書に

有掲載されている語

大正本文の語のうち、令和の教科書の紙面にも見えるもの。

  • 熊襲(クマソ)
  • 朝鮮半島
  • 渡来人

令和の教科書に

無掲載されていない語

大正本文にあり、令和の教科書の紙面には見えないもの。

  • 仲哀天皇
  • 神功皇后
  • 武内宿禰
  • 応神天皇
  • 三韓
  • 王仁

出典

大正の教科書
文部省著作『尋常小学日本歴史』児童用 巻一 第四「神功皇后」 10~13頁(10頁途中~13頁途中) 大正元年(1912年)版
原本画像
広島大学図書館デジタルアーカイブ(パブリックドメイン)
令和の教科書
『新編 新しい社会6歴史編』 東京書籍 令和8年2月10日発行
掲載の方針
大正教科書の原文・現代語訳を掲載し、令和の教科書については大正本文に登場する人物・事柄の掲載有無を一覧にしています。両者の評価や比較の結論は掲載していません。
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