れきまど

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第二神武天皇

大正教科書の紙面

2-3頁原本 01
史

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大正教科書 第二「神武天皇」 2-3頁 原本画像
4-5頁原本 02
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大正教科書 第二「神武天皇」 4-5頁 原本画像
6-7頁原本 03
史

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大正教科書 第二「神武天皇」 6-7頁 原本画像

大正教科書の原文

第二「神武天皇」/通読用

神武天皇は我が大日本帝國人皇第一代の君なり。天皇のなほ日向にましまし頃は、東の方の國國未だ開けずして甚ださわがしかりき。されば天皇は之を平げて人民を安んぜんと思召し、御兄たち御子たちと共に兵をひきゐて日向を出で給ふ。

これより後數年の間、天皇は或は強き敵と戰ひて御兄を失ひ給ひ、或はけはしき山に分入り、やうやく道をひらきて進み給ふなど、一方ならぬ御困難を忍び給ひて、大和地方を平定し給へり。

やがて天皇は宮を大和の橿原に定め、はじめて即位の禮を行ひ給へり。これ大正二年より二千五百七十三年の昔にして、此の年を我が國の紀元元年とす。毎年二月十一日の紀元節は此のめでたき即位の禮を行ひ給ひし日に當れるなり。

現代語訳

大正教科書の本文に対応
音声で聴く第二「神武天皇」現代語訳の音読/約1分47秒
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神武天皇は、わが大日本帝国の最初の天皇である。天皇がまだ日向にいらっしゃったころは、東方の国々はまだ開けておらず、たいへん騒がしかった。そのため天皇は、これらの土地を平定して人々を安心させようとお考えになり、ご兄弟やお子たちとともに兵を率いて日向を出発された。

それから数年の間、天皇は強い敵と戦って兄を失われたり、険しい山々に入り、少しずつ道を切り開いて進まれたりするなど、並々ならぬ苦難を耐え忍ばれて、大和地方を平定された。

やがて天皇は宮を大和の橿原に定め、初めて即位の儀式を行われた。これは大正2年(1913年)から2573年前のことであり、その年をわが国の紀元元年とする。毎年2月11日の紀元節は、このめでたい即位の儀式を行われた日に当たるのである。

令和の教科書との用語照合

大正教科書「神武天皇」の本文に出てくる人物・事柄

令和の教科書に

有掲載されている語

大正本文の語のうち、令和の教科書の紙面にも見えるもの。

  • 大和地方の平定(大和朝廷)

令和の教科書に

無掲載されていない語

大正本文にあり、令和の教科書の紙面には見えないもの。

  • 神武天皇
  • 橿原
  • 即位の礼
  • 紀元元年
  • 毎年2月11日の紀元節

出典

大正の教科書
文部省著作『尋常小学日本歴史』児童用 巻一 第二「神武天皇」 3~6頁(3頁途中~6頁途中) 大正元年(1912年)版
原本画像
広島大学図書館デジタルアーカイブ(パブリックドメイン)
令和の教科書
『新編 新しい社会6歴史編』 東京書籍 令和8年2月10日発行
掲載の方針
大正教科書の原文・現代語訳を掲載し、令和の教科書については大正本文に登場する人物・事柄の掲載有無を一覧にしています。両者の評価や比較の結論は掲載していません。
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