令和の教科書に
有掲載されている語
大正本文の語のうち、令和の教科書の紙面にも見えるもの。
- 大和地方の平定(大和朝廷)
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6-7頁/画像ファイルを選択・ドラッグ神武天皇は我が大日本帝國人皇第一代の君なり。天皇のなほ日向にましまし頃は、東の方の國國未だ開けずして甚ださわがしかりき。されば天皇は之を平げて人民を安んぜんと思召し、御兄たち御子たちと共に兵をひきゐて日向を出で給ふ。
これより後數年の間、天皇は或は強き敵と戰ひて御兄を失ひ給ひ、或はけはしき山に分入り、やうやく道をひらきて進み給ふなど、一方ならぬ御困難を忍び給ひて、大和地方を平定し給へり。
やがて天皇は宮を大和の橿原に定め、はじめて即位の禮を行ひ給へり。これ大正二年より二千五百七十三年の昔にして、此の年を我が國の紀元元年とす。毎年二月十一日の紀元節は此のめでたき即位の禮を行ひ給ひし日に當れるなり。
神武天皇は、わが大日本帝国の最初の天皇である。天皇がまだ日向にいらっしゃったころは、東方の国々はまだ開けておらず、たいへん騒がしかった。そのため天皇は、これらの土地を平定して人々を安心させようとお考えになり、ご兄弟やお子たちとともに兵を率いて日向を出発された。
それから数年の間、天皇は強い敵と戦って兄を失われたり、険しい山々に入り、少しずつ道を切り開いて進まれたりするなど、並々ならぬ苦難を耐え忍ばれて、大和地方を平定された。
やがて天皇は宮を大和の橿原に定め、初めて即位の儀式を行われた。これは大正2年(1913年)から2573年前のことであり、その年をわが国の紀元元年とする。毎年2月11日の紀元節は、このめでたい即位の儀式を行われた日に当たるのである。
令和の教科書に
大正本文の語のうち、令和の教科書の紙面にも見えるもの。
令和の教科書に
大正本文にあり、令和の教科書の紙面には見えないもの。